日々のひとりごと30−3 ーthe Blending of script and breakー

text3:「小牧山シックス」とは・・・(1)


結構文量が多いので、二回にわけます。今回は6つのうちの3つです。

三英傑が舞台にした小牧山

織田信長が清須城(愛知県)から岐阜城(岐阜県)に移るまでの4年間居城とした小牧山城。天正12年(1584)には徳川家康と羽柴(豊臣)秀吉が歴史上ただ1度だけ直接対峙した“小牧・長久手の合戦”で、家康が小牧山城を陣城(本拠地)とした。これにより三英傑は小牧山を舞台としたこととなっている

城が“街の象徴”という新しいスタイルを形成

戦国時代以前の中世(平安時代〜室町時代)の城は、あくまで戦のための要塞であり、土でつくられていた。それを、さらに“城は街の象徴(シンボル)”として位置付けることで、尊厳や品格を保ち、憧れの存在へ周囲の意識を変えた。“城が象徴”という考え方は、現代でも日本人の心に残っているが、元は織田信長による思想であり、小牧山で遂げたことの影響が大きいと考えられる

石材を採用した先進的且つ象徴的な城づくりは、のちに全国で流行

尊厳ある城の特徴として、地元石材を手間ひまかけて積みあげた石垣の採用。その堂々たる仕上がりは、敵陣が相当ビビったといわれているが、「山自体が城」という発想から成り立っている。石垣は出入口(虎口)にも使用され、土塁をつくり、山頂部の原形をほとんど留めないほど改変しており、城の設計ありきの築城工事で外部からの侵入を容易にさせないような工夫を凝らしていた。その一方で、城郭への道のりの途中には、ストレートに伸びる「大手道」もあり、優雅さをここで描いていたと思われる

♧実際の石材

石垣が大きな「日本初」の中でも特徴的な部分。その裏込石も発掘されている。この後で建設されていく城は石垣がベーシックになるが、それでも、この元祖とその時代とは背景の違いから異なる。小牧山城は、相当凝ったつくりのようで、崩れにくいようだ。その辺りはぜひ、れきしるこまき でご確認いただきたい。

ローカルの間

The "Locals Lounge" edites it about locals, local attractive point, regional activation of Japan and posts it. “地域資源”が”地域価値”となるような モノコトを探索します。