終戦後77年を経た今、「レジリエントなまちづくり」を考える
本日は、日本において第二次世界大戦の終結より77年の月日を経た日になります。日本国憲法第九条は皆さんもご存じの通り、「平和主義」に関する規定になりますが、核を持つ国が世界的に脅威を示す昨今、この憲法自体を一部見直すべきだと訴える意見もあり、賛否両論喧々諤々と議論をしている世の中になりました。
またこの敗戦により、アメリカ占領軍が町内会・部落会を日本に独自の「封建遺制」と規定し、ファシズムに協力したという理由から解散を命じていました。1951年サンフランシスコ講和条約の締結により、町内会・部落会が公然と復帰をとげたものの、戦後日本の民主化がGHQの占領政策から始まったこともあって、その後の町内会・部落会に対する評価に大きな影響を与えることになったわけです。
そもそも町内会の成り立ちはどこか・・・。どうやら江戸時代中期がその準備期といわれています。江戸時代中期といわれると、私はさほど古くないと感じてしまいます。私見ですが、日本は古代から農耕社会で集団での行動が多かったと思いますし、荘園制度や幕藩体制のような封建社会があるうえで五人組制度が江戸時代に展開された、という流れかと思っていましたが、この「町内会」、どうやら五人組制度は入らないようです。この五人組制度は決して全戸加入を原則としておらず、土地や家屋敷を所有しているとか、租税を負担する義務を負っているといった一定の資格をもつ世帯だけが「一軒前」として加入を許されたことにあります。ちなみにそのような資格をもたない住民も江戸時代中期以降は決して少なくなかったが、彼らは「大家」の監督下にあるものとして、少なくともその時代の支配権力にとっては正式な成員としては認められていなかったようです。いわゆる現代でいえば分譲賃貸マンション利用者(分譲マンションオーナーから賃貸で借りて住居している人)のようなものでしょうか。
町内会の準備期においては、江戸時代中期~幕末にかけて、本百姓の一般的形成、各村落において名主層へと上昇し、半農半工のマニュファクチャー経営へと乗り出していくことに始まるようです。地方の豪農ブルジョワジーと結んだ三井などの高利貸資本の後押しを受けた薩長の下級武士が、天皇を旗印に旧幕府勢力を退けることでその第一段階を迎えます。その後、幕末維新の時期には、台頭しつつあった豪農ブルジョワジーはまだ下級武士や政商資本とともにあり、農民との同盟が図られることはなく、地租改正などで維新政府の絶対主義的性格があらわになってくると、旧特権をはく奪された没落士族とともに「農民革命」の完遂を切望する農民層を率いて藩閥政府打倒へと立ち上がることに。これが自由民権運動といわれていますが、明治憲法制定、松方デフレ政策により、豪農と自作農以下の農民とのあいだに亀裂が生じ、その後挫折。絶対主義的天皇制へと展開していったのです。
大正デモクラシー(大正時代の大半の時間が費やされた)が、日本における民主化に向けた運動といわれているものの、結果この大きな戦争へつながっていくわけですから、気質といいますか、教えといいますか、そうなる理由があることは間違いありません。
町内会の発足は、様々な背景から生まれますが、大きくは準備期のようなその土地にある「体制」が影響しています。戦後における「スプロール化(都心部から郊外に向けて、無秩序かつ無計画に開発が進められる状態)」の影響からもこういった会は発足するわけですが、興味深い事例としては、渋沢栄一先生率いる民間企業である田園都市株式会社が、1922年以降田園調布に先駆けて開発した計画的な郊外住宅地区の一部として現在の東京都太田区、目黒区、品川区に郊外型住宅地開発を行ったことです。こちらの構想はイギリスの郊外住宅地を直接のモデルとしており、まちづくり協定をつくり、大企業(当時でいう大工場)へ通勤する労働者(智識階級)の住宅地として開発されたことです。いわゆる新中間層というサラリーマン層に対してコミュニティの意識や西欧流の市民意識を移植しようと試みたわけです。結果はどうかというと定着しえなかったといいます。今でも大規模な分譲宅地において、まちづくり協定を設けたりするでしょうけど、なかなか永続的にそれが守られるのは困難ではないでしょうか。大手不動産開発デベロッパーの製販管をグループ内で回すという同じ会社のようで業務が異なるため運営するためのモチベーションが違うことも理由の一つだと思います。
そして日本の働き方や文化とマッチしないのかもしれません。特に昨今の少子高齢化や共働き世帯の増加によりライフスタイルは変化しています。全国的に町内会の衰退を耳にしますが、その膨大な業務量を仕分けや棚卸することから始めるべきだと思います。例えば、デジタルツールで済む要件はそれなりにあるのではないでしょうか。人が動く必要があるもの無いもの、また前述の通り欧米ではボランタリーアソシエーションが発足しますが、その背景や運営はどのような形で行っているか。日本のボランタリーアソシエーションは無報酬のボランティアも少なくないようですが、活動するには最低限の活動費は必要です。これらを補助金や助成金だけではなく、一般企業を参入させる必要もあると思います。そのためには、当然そこには誰もが前向きになる要素が必要ですし、大手資本ですと数年に一度担当変更もあるわけですので、それを見据えた体制であることが必須となります。災害時におけるBCP(事業継続計画)も同様で、さらにBCM(事業継続マネジメント)、DCP(地区継続計画)といった計画や協定などを行政と企業で行っている地域も少なくないわけですが、実際その活動を日常的に役に立つものにするにはどうすべきか、という観点でみていくと良いと感じています。そのため、そのような観点で今後「レジリエントなまちづくり」を観察していきたいと考えています。
(参考文献)
◎玉野和志/近代日本の都市化と町内会の成立
◎磯打千雅子/事業継続計画(BCP)・地域継続計画(DCP)と 地区防災計画制度の関係性に見る多様な展開の可能性
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